最終話の二人を繋いだもの:アニメ『月がきれい』レビュー(5)
小太郎:次いつ会える?
茜:いつでもいいよ。
小太郎:会いに行っていい? 毎週行くから。
茜:(思いつめたように)うん。
(略)
小太郎:片道2時間? 始発で行く。長くいられる。今までと変わんないよ。LINEもあるし。
茜:(声が震え)けど……小太郎くんばっかり辛いのって……。
小太郎:へーきへーき。
茜:私も貯金あるよ?
小太郎:無理しなくてもいいって。
茜:そうじゃなくって!
茜:(うつむく)
小太郎(驚いて)茜、ちゃん……?
(略)
茜:(涙を流し)私、ずっと、不安で……不安で……小太郎くんに……迷惑ばっかりっ……それが、一番つらいっ……どうしたらいいの……?
(略)
こんにちは。アニメ『月がきれい』(2017年春、監督:岸誠二)のレビュー第五回です。
前回の記事「茜が不安を抱えたワケ」では、最終話で茜が強い不安を抱えてしまっていたのは、人格形成過程で姉から獲得した「現実的」な考え方によるところが大きかった、ということを述べました。
一方、二人の将来を楽観していた小太郎は、どのようにして人格を形成してきたのでしょうか。
悪いことではありませんが、一人っ子で育った小太郎には、生活に根差し、その人生をもって生き方の手本を示してくれる、年の近い先人がいませんでした。そんな中、小太郎の人格を作り上げてきたものこそが、小説でした。
〇繰り返された「小説からの引用」
本作には、小太郎が心の中で小説の一節を想起する、という演出があります。
例えば最終話には、
小太郎(モノローグ):太宰が言ってた。「怒涛に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛情の実体があるのだ」。
というモノローグがありました。このモノローグは最終話、茜を追いかけて走った時のものです。原文を読むと、
本当に愛しているのだから黙っているというのは、たいへん頑固《がんこ》なひとりよがりだ。好きと口に出して言う事は、恥ずかしい。それは誰だって恥ずかしい。けれども、その恥ずかしさに眼をつぶって、怒濤《どとう》に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛情の実体があるのだ。
となっています。ひとまずこの部分を読む限り、文意としては「本当の愛情というものは口に出して伝えるものだ」、という感じでしょうか。小太郎はこの言葉を想起すると、茜の乗る列車を追いかけ、「大好きだ」と叫びました。小太郎が引用している文章の内容と、小太郎の行動がリンクしていることが分かります。
文豪たちの小説から一部を引用してくる演出は、本作では繰り返し繰り返し取り入れられました。特に、小太郎が壁にぶつかり、悩み、葛藤している場面などで取り入れられていました。
この演出を通して描かれているのは、小太郎の人格形成過程における小説の役割の大きさです。茜の人格に大きな影響を与えたのが姉ならば、小太郎のそれは小説だったと言えます。
〇茜と小太郎の違い
茜は、姉から受け取った「常識」をインストールしています。そしてその「常識」は、現実世界を生きている姉からインストールしたこともあって、とても現実的です。ゆえに、茜には「毎週会いに行く」「始発で行く」「電車賃は自分で払う」という小太郎の誠意が、非現実的なものに見えていたのです。
小太郎の提案は非現実的です。実際、エンディングのイラストでは、小太郎のバイト代が出るまで二人がしばらく会えていなかったことも描かれています。
ですが、この頃の小太郎はそれが現実的なものだと信じていました。そしてそのことは、小太郎が小説を通して自らの人格を作り上げてきたことと、おそらく無関係ではないはずです。
姉という現実から「常識」をインストールしてきた茜と、小説という非現実から「常識」をインストールしてきた小太郎。二人の将来をめぐる考え方のズレは、まさに二人の人格形成過程の違いに根差していると思われます。
〇なぜ二人は結ばれたのか
ところが、この二人のズレは、最終話のラストで解消されました。
二人の将来に不安を抱えていた茜は、小太郎が書いた私小説を読んで涙を流します。「ずっと、大好きだ」。小太郎の小説「13.70」には、小太郎がこれまで悩んできたこと、考えてきたこと、そして茜への想いが綴られていたのです。
ここで茜は、「毎週会いに行く」と言っていた小太郎の想いがとても純粋であること、その気持ちが本物であることに気づきました。
つまり茜は、小太郎の書く小説から、彼の「常識」をインストールしたと言えます。
〇序盤との対比
茜は小太郎の書く私小説を読むことによって「茜の常識」と「小太郎の常識」が異なることを知り、「小太郎の常識」を自分の「常識」の中に取り込みました。だからこそ、あの出来事によって、二人はそれまで以上に強く結ばれることになったのだと私は思います。
ところで、序盤で二人を繋いだのは茜の走りでした。茜が本気で取り組んできた陸上が、二人を繋いだと言っても過言ではないでしょう。そして終盤には、小太郎が本気で取り組んできた小説が、二人を繋ぐ。綺麗な対比構造が作られています。
さらに面白いのは、終盤に二人を繋ぐ小説が「小太郎だけの物語」ではない、ということです。小説のタイトルは「13.70」。茜のベストタイムです。当然ながら、小説の本編には陸上の要素も入ってきているようです。
すなわち、小説「13.70」には、かつて小太郎自身が魅入られた茜の「走り」も含まれているのです。小太郎は、「茜の彼氏」という新しい自分自身の姿を、確固たるものにしていた。茜の流した涙には、自分の存在がこれほどまでに小太郎に影響を与えていた、それほどまでに小太郎が自分を大切に思っていたという事実に対して、感極まった部分もあったと思います。
ということで、最終話の一連の出来事によって二人はそれまで以上に強く結ばれたということが、そしてその背景もまた、見えてきたのではないでしょうか。二人は喧嘩を通じて、互いの「常識」を交換し合った。だから、強く結ばれたのです。