ラストシーンへの納得:アニメ『月がきれい』レビュー(3)
こんにちは。
アニメ『月がきれい』(2017年春、監督:岸誠二)のレビュー第三回です。
前回の記事「流れる緊張感の正体:アニメ『月がきれい』レビュー(2)」では、安曇小太郎と水野茜の二人が別々のコミュニティに所属していたことによって、本作には切実さと緊張感が生まれた、そんな話をしました。今回はその延長線上で、本作の最終話についての話を展開していきたいと思います。
私が本作を観ていて最も衝撃を受けたのは、最終話の後に流れた特殊エンディングで描かれている、小太郎と茜の「二人の未来」です。
〇『秒速』と真逆のラストシーン
学生時代の恋愛が大人になっても続くケースは少なくて、
『月がきれい』脚本の柿原優子さんも述べておられるように、学生時代、特に中学生の頃の恋愛が大人になっても続くケースは珍しいです。少なくとも、私の身近では知りません。ゆえに、私にとっては新海誠さんの『秒速5センチメートル』の結末――二人は大人になっていくにつれて疎遠になる――が”リアル”でした。
そんな中、『月がきれい』はそれと真逆のラスト――二人は大人になっても遠距離恋愛を続け、ついに結ばれる――を描いて見せました。
私が衝撃を受けるのもやむを得ません。
ですがその時、私は衝撃を受けると同時に、どこかこの結末に納得もしていました。
なぜ私は、一見すると非現実的にも見えるラストに納得をしたのでしょうか。
〇それぞれの”属性”
前回の記事で述べたように、小太郎と茜は異なるコミュニティに所属しています。それゆえ、『月がきれい』の物語は、基本的に「小太郎と茜が所属コミュニティの違いを乗り越えて”二人”であろうとする物語」だと言えます。
まず、小太郎と茜を繋ぐきっかけになったのは、茜の持つ属性である陸上、特に茜の「走り」です。小太郎は体育祭で茜の「走り」を目撃し、茜に強く惹かれていきます。もちろん、その前提としてファミレスでの偶然の遭遇や体育祭の用具係もあったわけですが、小太郎が茜に惹かれる過程、小太郎と茜が”二人”へと向かっていく過程の中では、序盤で描かれた「走り」が最も重要なきっかけだったと言ってもいいと思います。
これと対比するように、最終話の”『秒速』と真逆な”ラストシーンに至る過程では、小太郎の持つ属性である小説、特に小太郎の書く「小説」が、二人を繋ぎました。小太郎の書いた小説のタイトルは、茜の自己ベストタイム「13.70」であり、内容はほとんど私小説です。それを読んだ茜が、小太郎の正直な思いに初めて触れて……というところで、物語はラストシーンを迎えます。小太郎の「小説」に触れることで、茜は”二人”であり続けることに自信を持てるようになりました。そこでは、小太郎の書く「小説」が最も重要な役割を果たしていたのです。
〇揺るぎないものが”二人”を繋ぎ続ける
このように、二人は自分たちがそれぞれ別々に持っている属性、しかも揺るぎない属性によって、互いに結ばれていました。つまり、二人は元々、所属コミュニティの違いを吹き飛ばすほどの揺るぎない強さを持った繋がりで結ばれていた。だから、進学する高校が遠く離れてしまった程度では、二人の関係が根本的に揺らぐことはありません。
本作のラストで描かれた「二人の未来」、その最後の最後で提示されたのは、小太郎の持っていた属性の一つであり、かつて二人の初めての喧嘩の場ともなった、川越のお祭りでの集合写真でした。
あのエンディングイラストで表現されていたのは、二人の”変わらない”部分でした。中学校を出て、高校を出て大学を出て、二人は成長もしたけれど、変わらない部分もたくさんあった。だから、二人はここまで一緒にいることができた。そのことが表現されていたからこそ、私は、あまりに理想的な、非現実的にも見えるラストに、どこか納得させられたのだと思います。